こんにちは。ゴーストです。
今日は話すことについて書きたいと思います。
おしゃべりレベル
僕のよく行くお店に、それはもうよく喋る蛇がいます。蛇は二人いる店主のうちの一人で、名前をガラガラさんといいます。目が合った瞬間、話しかけてくるような蛇です。無尽蔵のおはなしストック、きっとオシャベリが蛇の皮を着ているに違いありません。名前はペラペラでも良かったのではないでしょうか。
もう一人の店主の名前はバミさんといいます。おはなしストック・ガラガラさんに対して、バミさんはまったく喋りません。けっこう長い付き合いになりますが、一度も喋っているところを見たことがありません。目が隠れるサングラスと相まって、何を考えているのかわかりにくい人ですが、それがあの人の魅力です。喋らないけれど、頷いたりはしてくれますよ。
僕のおしゃべりレベルはこの二人のちょうど中間くらいでしょうか。いたって平均的だと思います。うーん、いえ、どちらかといえば聞き役になることが多いです。話すことが嫌いというよりは、自分が話題を提供することが苦手なのかもしれません。
言葉はどこへゆく
僕は時々、口にした言葉が紙飛行機のようだなと思うことがあります。昔は、虫のようだと思っていました。今は、紙飛行機です。頭の中で折り目を付けて、口からシュッと飛ばすのです。大抵はすぐに目の前に落ちます。誰かにキャッチされることもあれば、風に乗って見えないどこかへ飛んでいくこともあります。
どこへどのように飛んでいくかは、その時のお天気で決まるでしょう。最後に着地する大地は、はたして何でできているのでしょうか?青草、苔、枯れ葉、土、水、油、コンクリート、砂、石ころ。けば立った絨毯、ひび割れたタイル、腐った床板、カビの生えた畳、冷たい布団。エトセトラ。
燃える言葉もどこへゆく
飛んでいった言葉が、燃えていることがあります。灯火になったり、火種になったり、飛ばした本人の思惑に関係なく(あるいは、思惑どおりに)、色んな場所で発火しては消えていきます。誰かの心でちらちらと燃え続けることもあれば、辺り一帯を焼野原に変えることもできるでしょう。キャンプファイヤーの焚火になることも、おいしいソーセージを焼く熱になることもあるはずです。ついでに目玉焼きも焼きたいところ。
飛ばした瞬間から、自分の意思では動かせなくなってしまうことは、面白くもあり、同時に恐ろしくもあります。僕はたぶん、恐ろしさがいつも勝っています。恐ろしいから、紙を選ぶことも折り目をつけることもゆっくりゆっくりやっているのだと思います。そうしている間に誰かが次々飛ばしてくるから、それを捕まえるのに忙しくなって、自分は飛ばさなくて済んでいる。僕の言葉は大抵、外に出ることなく自分の中で重なって埃を被るか、チリチリと焦げて灰になっているのでしょう。