海を望む町、ゴーストタウン
こんにちは。ゴーストです。
今日は近くの海に行ってきました。
ゴーストタウンの居住区は、南東の海沿いに集中しています。内地の原っぱや丘、湖や森にもちらほら居住者はいますがかなり少数です。ほとんどの一般的なゴーストは、南東の海沿いで暮らしています。
近くの海とはいっても、家から少しは歩きます。僕は朝の散歩が好きなので、夜明け前に出発しました。玄関のドアを開けて外の空気を目一杯吸い込んだら、なんだか骨まで冷え切るような心地がしました。太陽が昇りきっていない薄暗い景色と、ひんやりとした空気が好きです。
夜明けのラズベリーケーキ
空中の近くも遠くもない場所に、折れそうに細い三日月が浮かんでいるのが見えます。月より手前の塀の上には大きなコウモリが三羽とまっていて、真っ赤な目でこちらを見ています。六つの赤い光が、暗い靄の中でギラギラと光っています。やがてコウモリが三羽とも飛び立ってしまった時、僕は一昨日のおやつで食べたラズベリーケーキのことを思い出していました。
霧の町
ゴーストタウンは頻繁に霧が発生します。町のことを研究しているランプシェードの丘研究室の室長、ローソクさんが言うには、科学的に解明されている霧の他に、原因不明の霧もあるんだそうです。一年を通して曇りや雨の日が多く、カラッと晴れている日は珍しいです。晴れている日より嵐の日のほうが多いかもしれません。今朝も例に漏れず霧が立ち込めていました。
死者の入り江

写っているのは死者の入り江といって、死んだ人だけが訪れることができる場所です。ややこしい名前ですが、この入り江に来たら死んでしまうというわけではありません。
というよりも、そもそも生きている人は訪れることができませんから死ぬこともありません。注意しなければならないのはむしろ僕たちゴーストの方です。
この入り江はときどき月を盗みます。月を盗んだ入り江の水は、銀色を帯びた乳白色に輝いてとても美しいんだそうです。けれども、その美しい水に触れた瞬間、僕たちは水中に引きずり込まれて二度と戻ってこれません。それを死と表現することが適切かどうかはわかりませんが、限りなく死に近い状態になります。月泥棒は気まぐれなので、入り江に向かう前には月を探すことが推奨されています。
<追記>
研究室で入り江のことを調べていた時に見つけたメモを貼っておきます。これは人間によって書かれたもののようです。
「幽霊に影が無いのは何故ですか」 上手く声が出なかった。それでも相手には届いたらしい。ペンを走らせる音が緩やかに止まった。私は相手をちらりと見たが、眼鏡のレンズに月明かりが反射して、その奥の瞳が何色なのかはわからなかった。私と向かい合わせで座っている月は、いつもより少し歪んでいるように見えた。 「死者の入り江というものがあります」 古い椅子がギイギイと嫌な音をたてた。 「ここからずっと北へ行ったところに。誰も見たことはありませんけども」 「誰も見たことがないのですか」 「そうです」 「では何故あなたはご存知なのですか」 入り江の波は足下をさらって、水は真珠のように輝くという。止まっていたペンは再び紙の上を走り始める。右から左へ、右から左へ、滲むインクは深い夜の海の色をしている。インクボトルのほとんど剥がれたラベルには、Sの文字だけがかろうじて残っている。